2008年11月2日日曜日

聖俗の反転のために (3)

姫について考える。

まず「姫」は「秘め」に通ずる。音においてばかりではない。姫というものが権力者や富貴な者の息女として庇護され下々の者の目から秘め隠されているという、そのありかたにおいて、それはよりいっそう際だつ。

が、近代を経て、貴族などは徐々になくなり社会は平準化し、女性は家を出て自立していく。

そういう時代にもし姫というものがあるとすれば。

それは秘めるという行為の主体が姫自身であるような、そんな存在だろう。

ほんとうの自分というものがあるのだろうがめったなことでは表に出さない、言いたいことがあってもそう簡単には口にしない、そういう女性たちこそが姫なのだと思う。

したがって現代において天真爛漫な姫などというものはありえない。

姫とは定義上「嘘つき」である。べつに積極的に嘘をつかなくともよい。何かかけがえのないものをその奥深くに秘め隠してさえいれば彼女は姫だ。

その屈託ありげな佇まい、その翳り、その深淵、それらこそどんな富や名声にもまさる魅惑であり、闇を光に転じる鍵である。

以上、数日前に考えていたものの書いてる暇がなかったことを載せてみた。