asahi.comの芸能コラム「ラクゴロク」に
クワガタを鼻に挟まれたりしている山中さん
とある。文字通りに想像すると変な光景。というかこれ文字通りには想像できない。
タイトルは「あなたをぼこぼこにしたい」の略です。
東京新聞のウェブサイト(東京新聞(TOKYO Web))のデザインがリニューアルされて読みやすくなっている。それはいいのだが右のほうのリンクに
300文字小説
ネットで作品の募集を受付します
とある。「募集を受付」って……。募集も受付も自分たちのほうがやってることであって「○○を受付します」と書くんであれば「○○」には「投稿」なり「応募」なりの単語を入れるべきだと思うのだが……。大丈夫なのかこの企画?
Oracle Database 10g評価版をWindowsXPにインストールしたのだがemca
コマンドがエラーで終了してEnterprise Managerの設定ができない。
ログを見るとMalformed ¥uxxx encoding
とやらでtargets.xml
が保存できなかった云々とある。なぜそんなエラーが発生するのか見当がつかない。
が、1時間ぐらい無駄にしてようやく気がついた。思えばインストール先がD:¥usr¥local¥Oracle
なのだった。おそらくtargets.xml
生成時にこの¥usr
という文字列を含むパスを何かしら評価する局面があり、そこで¥u
以下をUnicode文字として解釈しようとするものの結局できずに死んでいるのだろうと思われる。
というわけでいったんOracleをアンインストール。時間がなくて再インストールは明日以降に持ち越し。
フジサンケイ ビジネスアイの“AED景気”順調云々という記事。始まりは
心臓に電気ショックを与えて鼓動を回復させるAED(自動体外式除細動器)が注目されている。
と硬いが最後のほうに
パチンコホールでは、「大当たり」で興奮した客が心肺停止状態に陥ることが少なくないといわれる。
AEDの販売会社幹部は、「米国でもラスベガスのカジノに一番置かれている」と説明する。
などとあり思わず笑ってしまう。ちなみにウィキペディアによればAEDは「Automated External Defibrillator」の略らしい。「除細動」にしろ「Defibrillate」にしろ単語見ただけじゃ全然わからない。
青年団第53回公演@こまばアゴラ劇場、5/13(日)17時開演の部を観る。
由美さん(って劇中ずっと姉さん・お義姉さんとしか呼ばれないのでプログラムの配役見ないと名前が出てこない)が不思議だと思うのだ。
厄介事(両親の世話とか)は自分ひとりで抱え込んで兄弟や妹たちには「いいのいいの」なんて言ってるあたりは偽善っぽく見えなくもないし、好恵さん(弟の嫁)から悩みを打ち明けられたときのキョトキョトした視線も頼りない。
しかしあの鈍いんだか鋭いんだかわからない、単純にいい人というわけでもなさそうな感じが、この芝居を飽きのこないものにさせてるんだと思う。ラストシーンの2人の会話は現代口語演劇というにはやや日常離れのした、まるで少女マンガのような雰囲気さえあって他の芝居なら照れてしまうところなのだが、なぜだか違和感なくスッと入ってくる。
飛行士と恋人のシーンは『ソウルノート』のときもよかったけど今回も好きだな。しかし『ソウルノート』のときは韓国からの役者が韓国語でやってたからセリフの意味はわからなかったはずなのに、なんで面白いと思ったんだろう。字幕があったんだっけか。謎だ。
美術館のロビーのベンチの間に置いてあった灰皿がなくなってたり由美さんの持ってるカメラがデジカメだったりして「2004年の風景であってもおかしくないけどもはや2004年ではないんだろうな」と思ってたら、よく見るとプログラムに「2004年の香港公演から、設定を2014年に書き換えて」と書いてあった。そうか。でもずいぶん小刻みだなと思うのはオレだけだろうか。
日曜には届いてたんだけど平日中は時間がなくて土曜になってよーやく開封。ふーむ「愛し」は「かなし」と読ませるのか。
「反骨の人」の声がiTMSで試聴したときより可愛らしい感じなのがちょっと意外。ウェブで見かける「声が大貫妙子、歌唱が吉田美奈子、ピアノが矢野顕子」という評もそれはそれでナルホドなのだが声の気持ちよさはなんとなく小川美潮に通じるものがあるような気もする。
「ある絵描きの歌」は曲調もニュアンスもまったく別だが不遇な画家の生涯を寓話風に歌ってるところが須山公美子「ポン・タヴァンのキリスト」を思い出させる。なんだろう、ソングライターという人々にとって絵描きというのは特有なイメージを呼び起こすモチーフなのだろうか。
いやーそれにしてもやっぱりピアノ弾き語りはいいなあ。
インストール用CD-RをUSB接続のCD-ROMドライブから起動したところ「デバイスドライバを選択してください」と言われる。一覧から以下の2つを選択して無事通過。
ただし同時に複数選択はできないので1つずつ2回に分けて選ぶ。順不同。
時間堂@王子小劇場、4/29(日)夜の部を観る。雨森さん3月『ハコ』でのお婆ちゃんもよかったけど今回の旅館(ホテル?)のおかみさん(年齢としては30台前半あたりの設定なんだろうけど山奥で暮らしてるせいか言動がおばちゃんっぽい)役もおもしろかった。歌(なんと今回はザ・ピーナッツ。曲名は知らない)がまたうまいんだよなー。
冒頭の男女2人の会話が、ああここは旅館でこのひとはおかみさんで、もうひとりは宿に泊まってる作家をてくてく歩いて訪ねてきた担当者なんだな、というのを言わずしてわからせる作りになっていて、ちょっと文芸作品みたいで出来すぎのような気もしたけど好感がもてた。
演出と役者陣の多くは去年観たリュカ.『vocalise』と重なる。編集者のひとは前回も同じような役だったような? 前回シャキシャキのキャリアウーマン役だったひとは一転してスランプで鬱気味の新鋭作家の役。なんか竹久夢二ふうだったな。
前半は泊まり客の女の子たちを中心にした幽霊騒ぎのドタバタ。このうちの一人が小説家志望で、尊敬する作家がたまたま同じ宿に泊まっていると知るや半ばストーカーのようになって弟子入りを志願する。この執着ぶりの動機として「大ファンだから」「作家になりたいから」だけしか用意されてないので、ちょっと説得力に欠けるというか空回りしてしまってる感じがした。
むしろ作家は世間からは「失踪した」「死んだらしい」と思われてる、宿で出くわしても本人なのか幽霊なのか終盤までわからない、ファンの子も連れの友達(小説とかには全然興味がない)からは「やめときなよ、きっと幽霊だよ」と言われるんだけど「それでも弟子になりたい」と突進していく。そんな作りのほうがわかりやすかったんじゃないかな。
まあ、それはそれで、じゃあ幽霊じゃないことはどうやってわかるんだ、という問題が出てくるか……。
すったもんだの末に作家が恋人と別れて一人になって泣くシーンでは、なぜか漱石の『それから』の最後が思い浮かんだ。何を失ったかという点ではこの女流作家と『それから』の主人公ではまるで逆なんだろうけど。なんでだろ。
おかみさんのセリフ「2人目ができちゃったのよ」で雨森さんは『vocalise』でも妊娠中の役だったのを思い出して可笑しかった。
p.s. 時間堂といえば『月輝きながら太陽の照る』を観てからもう2年。高山植物園はまだ再開しないのかな?