今週も初日から難問山積で疲れた。なので芝居の感想は休み。
腹痛で1名救急車で搬出される。傍観。
昨夜炊いた米を食べ終わる。おかわりのある食事なんて何年ぶりだろ。しばらくしたら太ってるかもしれない。
タイトルは「あなたをぼこぼこにしたい」の略です。
この芝居のテーマは「生きなきゃいけない」の一言に尽きる。
それで最初観たとき鈴木祥子の『PASSION』という曲を思い出した。今も頭の中で鳴っていて時おり口をついて出てくるのは劇中で歌われていたテーマ曲ではあるのだが、何秒かおきに何ミリ秒かずつ『PASSION』の断片が割り込んでくるのは抑えがたい。
1回目と2回目の間に坂口安吾の『堕落論』を古本屋で買って読んでいた。そこに書かれていることと『三人姉妹』という戯曲の間には重なる部分が多いのだが、この時期に安吾を読み出したのはまったくの偶然で、また鈴木祥子が好きな作家として挙げる一人でもあるけれど、そのこととも全然関係ない。
閑話休題。
100年も前の、それもロシアの作家の戯曲だから、セリフ単体で泣けたり笑えたりというのは難しい。それでもグッときたセリフがひとつある。
最後の場面、オーリガが妹たち、マーシャ(境宏子)とイリーナ(原田優理子)を抱き寄せて「何十年、何百年とたったら私たちの顔も、名前も、私たちが生きていたということも、誰もおぼえていないでしょう」という意味のことを言う。「それでも生きていかなくちゃいけない」と続く。
その「誰もおぼえていない」ことの中に「私たちが何人きょうだいだったかということも」というのが出てくる。これがグッときた。
このセリフにもかかわらず、この作品は『三人姉妹』という題名で21世紀の今日までその名をとどめ、その中に彼女たちは生き続けている。誰が仕掛けたのかわからない、そもそも仕掛けですらないのかもしれない、この不思議さに打たれた。
とはいえ長男のアンドレイ(Bキャスト大野洋範、Aキャスト木内貴大)も入れると正確には四人きょうだいなんだよな。でもタイトルは三人姉妹。
たしかにアンドレイは姉や妹たちに迷惑かけっぱなしだし、彼の不幸は姉妹の不幸とは別物かもしれない。ところが念の入ったことに亡き父の部下だったヴェルシーニン中佐も偶然赴任してきて再会した折に「小さいお嬢さんが三人いらっしゃったと記憶しています」と言う。アンドレイの立場はつくづく微妙だ。
時間堂『三人姉妹』を観る。まとめようとするとまとまらなくなるので断片的に書こうと思う。以下、敬称略。
2回観た。最初Bキャスト、千秋楽Aキャスト。
劇中さまざまなバリエーションで歌われるテーマ曲。
1回目はそのメロディが終演後しばらくは頭の中で鳴っていたのだが、家に帰り着くころには思い出せなくなっていた。バルカン超特急みたいな感じ。
が、2回目を観たあとは、これを書いている今でも繰り返しよみがえってくる。
特に冒頭シーンの葬送曲としての印象が深い。
左右から客席にはさまれた細長い舞台に並んだ葬列。先頭のトゥーゼンバフ中尉(鈴木浩司)が旗を捧げもつ。このシーンではトゥーゼンバフとしてではなく匿名の兵士だったのかもしれないけど。その旗の角度が、葬列の長さとのバランスがよかったのかコーラスとの相乗効果だったのか、見ていて非常に気持ちのいいものがあった。
冒頭ですでに拍手したくなるような芝居というのも久々に観た気がする。
ハーモニーを響かせながら進んでいく葬列。前半では最後尾の長女オーリガ(雨森スウ)が足の裏で、オーリガが歩き出してからは旗手が旗竿で地面を突いて低音のリズムを刻む。なかなかに荘厳であった。
今朝スーパーに雪印のバターがなかった。
消費者向けバターが品薄というニュースは目にしていたが、スペースごとごっそりなくなってるとは。
無食塩バターとか切れてるバターとかはあった。でも味や分量を考えると箱に牛の絵が描いてあるやつじゃないと納得いかない。
どうしよう。
炊飯器はその後ちゃんと炊けて、量の加減がわからず計量カップに3杯ぶん炊いたら予想外に多く、とりあえず明日の朝はパンではなく米飯にするか。
珍しく立てつづけにCDを買ったのでメモ。