2008年10月31日金曜日

百万人のひとりごと

2008/10/30(木)、曇りときどき晴れ?

朝、電車の中が遠足にいく小学生(幼稚園児?)だらけ。2つ先の駅でぞろぞろ降り、二列縦隊らしきものになってホームを歩いていった。

こないだ人から「ひとりごとが少ない」と言われたのだが今日はさすがに「くっそー」だの「まいったなぁ」だのを連発してしまう。もうちょっと他人に厳しくなったほうがいいかも、仕事するうえでは。

冬が近いせいなのか仕事場の前をうろつく猫が今日はじっとして動かず手を出しても逃げない。

livedoorのRSSリーダはけっこう使いやすいなと思う。ニュース記事を眺めていて九十九電機の倒産を知る。

ほとんど数分刻みで悲しくなったりホッとしてみたりを繰り返している。ピッチの速いメトロノームのようであり、おかげで振幅はさほど大きくない。

2008年10月30日木曜日

出勤中、それは切ない

2008/10/29(水)、晴れ。

晴れてるけど肌寒い。

昼、つみれその他の煮物の定食。食後、あてもなく高速道路を越えて散策。山がくっきり見えるので空気は澄んでいるのだろう。

仕事中、幾度となく天井を見上げて涙ぐんでしまう。

夏場にふと口にした駄洒落が今ごろになってウケているらしい。

遠目に可愛いかもと思ってた女性が近くで見るとけっこう老けていた。でも物腰が静かなので印象が好いのは変わらない。

夕方、ようやく元気が出てきて携帯の待受画像を更新。

2008年10月29日水曜日

睡眠中、それは苦しい

2008/10/28(火)、晴れ。

朝の電車内で松尾由美『ハートブレイク・レストラン』(光文社文庫)をちょびっとだけ読む。

昼、ホキの焼いたのに野菜を和えた定食。

昼すぎ、自分では意識があって人の話も聞いてるつもりだったが、目がとろ~んとしていると言われた。

夜、悩んでるひとが何に悩んでるのか今いちわかってあげられないまま置き去りにして帰宅、キャベツと牛肉を炒めつつヤフオク落札。

2008年10月28日火曜日

切ない

我がベアトリーチェにしてキクチサヨコ。

あれは山を降りるサインなのか。それとも山に居残るサインなのか。苦しい一週間になりそうだ。少なくともオレには。頼むから、どうか元気で。

祝祭夢

ふと、地べたに放り出されたような、あるいはぽっかり水面に浮かび出たような、いずれともつかぬ心地がして、目が覚めたという意識だけがあり、眠っていたという記憶はまったくない。

それからようやく眠りが訪れたらしく、比較的くっきりとした夢をみた。

まだ夜這いの風習が残っていそうな農村だか漁村だかで、昼間っから合コンのような同窓会のようなことをしている。

同級生の一人はすぐ近所で開業医をやっている。ひょろりとした白衣の若い娘がやってきて、座敷の端に正座して何か言う。その地方の方言なのか彼女独特の言い回しなのか、何を言ってるのかわからないのだが「今日はもう帰ります」という意味だということはわかる。

小太りで眼鏡の院長センセイは何やらギャグをかましつつ威厳らしきものを見せて応対しているのだが、そのじつふだんはこの年端もいかぬナースに頭があがっていないにちがいないことは満座の者に一目瞭然であり、彼の道化ぶりよりむしろそのことのほうが微笑ましい。

俺は誰か女の子とふたりで何者かの影から逃げまわっている。スイスイ空を飛びながら逃げている。追われているのは彼女が何か貴重なものを所有しているからなのだが、それは見てみるとエアホッケーの円盤を金やら黒やらで彩色したもののように見える。その円盤をどこかの砂山の中かなにかに隠して、どうにか追跡の手を逃れる。

二人はその後も空を飛びつづけ、どこかやっぱり村か小さな町にあるスーパーマーケットのような店に向かう。彼女だか同級生の誰だかの親が最近になって亡くなった洋菓子職人で、そのひとの遺した製法にのっとって作られた一品をその店の棚に置いてくる。そのまま上から眺めていると、店員たちがそれを発見して口々に喜んでいるのが見える。

一方、合コンだか同窓会だかは運動会の様相を呈してきていて、建設途中のビルの最上階の足場の上でテニスのダブルスなんかをやっている。そして最後はプールで男女入り乱れての騎馬戦が催されることになり、隊列を組んでプールに集結したところで目が覚めた。

2008年10月27日月曜日

金木犀の季節に君を想うということ

2008/10/27(月)、晴れのち曇り、夕方には雹。

朝、バターとマンゴージャムのトーストにヨーグルト代わりのマンゴープリン。

仕事場の前の自販機でサントリーGokuriのマンゴー。缶をバッグに入れようとして、指先にオレンジ色の薄片がくっついているのに気づく。

気づいたときにはもうオレンジ色が水滴の中に溶けていくところだった。Gokuriの缶の表面が剥げたのでもないらしい。金木犀の花粉だったと思われる。

もはやそんな時期でもないだろうにと思う。そもそも周囲にそれらしい木が見当たらない。運搬されてくる途中で缶に付着して、そのまま自販機の中でひんやり眠っていたのだろうか。

昼、実に久しぶりに明治神宮を散策する。上着なしで日向ぼっこ。まさか夕方あんな雨になろうとは予想もつかない好天だった。

文庫本を忘れてきたので行きも帰りも吊り革にぶらさがってボーッとしている。最近それが全然苦痛ではない。

今週の本歌取り

知性においては後背位、意志においては対面座位。

ステイションワゴン

もう20年近くも前の曲になるのか。どうりで「次の街でカセットを買おう」という歌詞にも今いち実感がわかなかったりするわけだ。でもカセットテープではなくカセットボンベだと思えばどうだろう。むしろこのほうが温もりが感じられたりしないだろうか。地に足のついた生活感というか。

日曜日

2008/10/26(日)、終日曇り。

午前中ずっと寝てた。予約はとれた。

夕方、新宿のビックカメラ店頭でデジカメを手にとってみたはいいが…

一眼レフって重いな orz

まだ決まりそうにない。今週末の3連休でどうにかしよう。

DVDを買って帰る。今週は1本だけ。

livedoorのユーザ登録してwikiを編集。

久しぶりにカレーを食う。S&Bデミグラスチーズカレー辛口。

2008年10月26日日曜日

土曜日

2008/10/25(土)、曇りときどき晴れ。

曇ってたけど洗濯。

宅配便受領。新宿じゃなくて池袋。

そろそろ本腰を入れてデジカメの検討に入ろうと思っていたが、最近すっかり文章が読めなくなっているらしく午後は熟睡してしまう。

引き返すなら今のうちだが、引き返さないことにする。

誰よりも

サザンオールスターズ「涙のキッス」の「誰よりも愛してる」という歌詞は

  • 浮気者なんで他の子にも目移りすることはあるけど、でも君が一番
  • 君を愛してるということにかけては他の男どもに負けない自信がある

のどちらなのだろう。と今ごろになってふと思う。

金曜日

2008/10/24(金)、雨。

往路熟睡。

昼休みは激しい雨。

人から「生年月日を入れろ」と言われて山手線占いをやったところ新橋。

さっき「あれってどこのページだったのかな」と検索してみたところ講談社の雑誌『TOKYO 1週間』のサイトだと判明。それにしてもトップページにいきなり「アダム徳永」とはw

ついでに気になる彼女の生年月日(公称)で相性診断。向こうは新宿で乗車オススメ率45%だって。相手の性格は

自信に満ちあふれ、常にポジティブ・シンキングのエネルギッシュな人。

自己申告とかなりちがうな。

弁が立ち、芸術的センスを持ち合わせているためどこか底知れぬ大物感が漂う。

前段はわかんないけど「底知れぬ大物感」は当たってるかも。

日記を書こうとして寝てしまう。

誰をみても彼女を思い出す

金曜の夜。昨日とは逆方向に帰る途中、電車の中で今日も彼女に似た子を見かけてしまう。

シート1つぶん離れた斜めむかいに座っていた。どうしてだかはわからないが、ふと気がつくとこっちを見ている。視線の吸引力が只者ではなかった。

真っ赤なセーターかなにかに白系統の短パンみたいなやつ、頭にもクリーム色かなにかの毛糸の帽子をかぶってたかもしれない。いかにも活発そうなストリート・ファッションで、昨日の子よりも幼い感じ。ただ、膝から下の素足が彼女にしてはやや細いかなと思った。

遠いので顔もよくは確かめられないまま乗換駅に着いて電車を降りる。


帰ってきてチェックしてみるとブログがまたまた更新されていた。どうしたんだ最近。今日はなんかグルメな日だったらしい。味覚が麻痺してるのか、麻痺させようとしてるのか。これは何かの伏線なのか。放置されても心配になり、毎日更新されても心配になる。なんと罪作りなベアトリーチェ。

電車の彼女は満腹そうな顔でもなかったし、今日もやっぱり他人の空似か。そもそも電車で移動というのも考えにくい。

2008年10月25日土曜日

木曜日

2008/10/23(木)、曇りときどき雨。

特に書くべきこともなし。

amazonに注文した商品に発送予定日をすぎても発送されていないらしいものがあったので問合せを入れたところ、遅延のお詫びとして300円のギフト券が付与された。

そら似ちゃん

木曜の夜。

帰りの電車でシートの端の吊り革につかまってたら、途中の駅から乗ってきた女の子がドア脇に立ち背中で軽く座席横の手すりに寄りかかった。

白い服、背格好、顔の輪郭、アイメイク。そっくりだった。

なにかの資格をとるための参考書のようなものを読んでいた。ほとんど横顔しか見えない。ページを押さえる指先に目をやる。爪だけが、かろうじて彼女とは別人かもしれないことを思わせた。

そのまま上半身を横にたおして顔を覗きこめば確かめられたと思うのだが、さすがにそんな真似はできるわけもなく、悶々としたまま降車駅に着いてしまい未練たらたらで車内をあとにする。


帰ってきてチェックしてみるとブログがまたまた更新されていた。しかもオレが吊り革につかまって悶々としていたのと同じ時間帯にアップされている。やっぱり他人の空似だったのだろうと思いホッとする。

そもそも帰る路線と方角が同じであることを少しも疑問に思わなかったのは関係妄想強すぎw

2008年10月23日木曜日

水曜日

2008/10/23(水)、晴れたり曇ったり。

寝過ごしついでに賃貸契約がらみの電話連絡。

夕方、向かいの席のひとが「実の姉をモデルにしてラブソングを作るというのは理解できない」というような意味のことを言っていたのだが、そうなのかな。

たぶんふとした仕草なんかから「誰かに愛されている姉」を感じとった弟がその「姉を愛している誰か」の心情を思い描いて「ま、これぐらい好きなんだったら認めてやってもいい」みたいな感じで作ったんじゃないのか。

あるいはそこまでひねくらなくても、姉と弟のあいだの擬似的な恋愛感情というのはオレは全然OKというか憧れですらある。逆に兄妹間というのはやだな。よっぽどの年齢差でもないかぎり不幸の匂いがする。

しかしまぁ、こんな歳にもなってしまうと自分から見ておねーさんにあたるのは婆さんばっかりということになってしまうわけで、常識で考えて好きになるなら年下の若い子のほうがいい。

我田引水、閑話休題。

今、陰毛が1本だけ白い。そんなことはどうでもいいか。

ダブルベリージャムが切れたので帰りに今度はマンゴージャムを買ってくる。

BLONDE

今日は一日「BLONDE」の、特に歌い出しの箇所が頭の中で聞こえていた。かつてなかったことである。

最初に聴いたときはなんだか抽象的に思えて、それでいて妙にべたべたしているようにも思えて、どうしてもなじめない曲だったのだが。

なにか際限もないものの中へと自分をひらき投げ出していく、その情動の、豊穣さと気高さ、そして哀しさと切なさ。

今まで全然わかんなかったな。

2008年10月22日水曜日

火曜日

2008/10/21(火)、晴れ。

出かける直前になって昨日T61pの電源だけ置き忘れてきたことに気づく。手持ちのX61の電源で代用できたのでどうにか助かる。

駅から初めてバスに乗る。

昼、サーモンのなんたら定食が売り切れだったのでスープ餃子の定食で我慢する。水餃子なのではなく焼き餃子がスープに浸してあるというもの。

夕方「デジカメ買おうかな」と初めて思う。が、これは普通の日記に書くべきことではないかもしれない。

帰途、乗換駅までほぼ熟睡。

オフィーリア胎動セリ

我がベアトリーチェにして電子の森の遥か彼方の赤頭巾。

とことことことこ、いったい何処まで行こうというのか。こっちはまるで追いつけそうもない狼だ。

単にリラックスしてるだけなのかもしれないけど何やら自信ありげにも見えてくる笑顔。また今夜も眠れなくなってしまいそうだが、ここはひとつ深呼吸して、俺も風呂入って早めに寝ようと思う。

2008年10月21日火曜日

月曜日

2008/10/20(月)、晴れ。

駅のホームで時計を忘れてきたことに、仕事場の隣の自販機の前で財布を忘れてきたことに気づく。

昼休み、ATMで出金がてら実に久しぶりにコンビニのおにぎりを買って食す。

帰途、改札を出たところで定期が切れていたことに気づく。今週は損ばかりしている。

ヤフオクで「商品届きました」の連絡を入れておいたら普通はそこで終わるのに今日になって非常に親切なというか昔のパソコン通信にでもあったようなノリの返信が送られてきていたのでいささか驚く。

たまには普通の日記を書いてみた。

音楽と時間

今夜は鈴木祥子の「BLONDE」とか「そしてなお永遠に」のような今まで苦手としていた曲をごく素直な気持ちで聴けた。それから「LOVE/IDENTIFIED」を久しぶりに聴いたがコレやっぱりイイよなぁと思う。ま、それだけなのだが。

砂粒として遍在する

これはまだ先週末の彼女のBlogの最新エントリが「貢ぎ物にご満悦の図」の様相を呈していたのに安心して、日曜あたりに地下鉄のホームで考えていたこと。

つまり捧げ物すらままならぬ俺は衛星どころか単なる砕片でしかなく、けれどもそれならそれで数かぎりない粒子と化して彼女のまわりを遠く近く取り巻いていたいものだなという甘い妄想。


我レ未ダ三次元ノキミヲ知ラズ。知ったら関係妄想が募りそうで。


そういや月曜の朝、隣の車輌にそっくりな子を見かけたんだった。シルバーシート2つぶんの距離からでも視線の強靭さが伝わってきた。本人にしてはちょっとスレンダーすぎたかもしれないけど。

2008年10月20日月曜日

オフィーリア微笑セリ

我がベアトリーチェにして至高のプランツドール。

油断していた。いつのまにか数歩も先を行っている。いよいよ本領発揮というところなのだろうか。まいった。理想的すぎて怖いくらいだ。

オレはオレにとっての鉱脈を掘りあててしまったのだなと改めて思う。写真の彼女がこのうえもなく無邪気に笑っていても、やっぱり結局眠れそうにない。

純愛は再定義されるべきか

このところ漠然と「純愛というのはプラトニック・ラブのことなんだろうけど、それはちがうんじゃないか!?」と思いはじめていた。

ところが、意外にも世間ではそもそも「純愛=プラトニック・ラブ」という認識でもなさそうであることがわかり、いきなり出鼻をくじかれてしまった。

たとえば小浜逸郎は「「男の純愛」は可能か」において愛を博愛・性愛・親子愛・友愛に分類して純愛は性愛の範疇に含まれるとしている。

また、ウィキペディア日本語版の「純愛」の項には

アダルトゲームやアダルトアニメでは双方の合意による性交渉(和姦)を扱う作品を「純愛系」と呼ぶ。

などという記述がある。「純愛=和姦」というのはすっきりしていてよいと思う。珍しくオタクカルチャーと気が合ってしまった ;p

一方、きょう書泉ブックタワーでちらっと開いてみたサタミシュウ『私の奴隷になりなさい』(角川文庫)巻末のリリー・フランキーによる解説などは、やっぱり「純愛=プラトニック・ラブ」という捉え方も皆無ではないことをうかがわせる。

そこで現時点で私が考えるところの純愛の位置づけを行なっておきたいと思う。

  1. 純愛 - 肉欲・性交、および胚胎の可能性を伴うもの
  2. 非・純愛
    1. 肉欲を伴うもの
      1. 避妊処置を施した性交を伴うもの - 肉欲・性交を伴うが、胚胎の可能性を排したもの
      2. トレンディ・ドラマ風のもの(死語か) - 性交までの間に不必要なほど煩雑な段どりを伴うもの、経済によって汚染された純愛
      3. 同性愛、嗜虐・被虐、オーラルセックス、アナルセックス、etc. - 肉欲を伴うが、性交については微妙であり、いずれにせよ胚胎の可能性はないもの
    2. 肉欲を伴うかどうかが微妙なもの
      1. 結果的にプラトニック・ラブ - 障害等により性交・胚胎が不可能なケース
      2. 小児愛
    3. 肉欲を伴わないもの - いわゆるプラトニック・ラブ

こんな感じだろうか。(もちろん上で言う性交はすべて和姦を指す)

非・純愛は歪んだ愛である。とはいえここでの「歪んだ」という語には、特に否定的なニュアンスをもたせてはいない。そもそも私自身にしてからが、今もし誰かを愛しているのだとすればそれはかなり歪んだ形においてなのではないかと思っている。

泣くなら喋るな

秋葉原から日比谷線に乗ったら泣いてる女の隣に乗り合わせてしまった。

泣きながらでかい声で喋っている。「なんで離婚するのに400万も借金しなきゃいけないのよ」とかなんとか連れの男に愚痴をこぼしている。

うるさい。

不幸な自分に酔ってる感じ、人目も憚らずっぽさを意識した芝居がかった感じが非常に厭だった。どうして現実というのはああもみっともなく胡散くさいのだろう。

あれがもし顔や声の可愛い女の子だったら印象はちがってたのかな。ま、当然ちがうだろうな。

もっとも、そんな子はきっと地下鉄で移動中に泣きながら愚痴ったりなんかしません。

2008年10月19日日曜日

stranger than comic

スーパーに立ち寄る途中ですれちがった自転車の親子連れが「パパとママは何歳のときに結婚したの~?」「ママが16歳でパパが18歳のときよ~」と会話していて、でもそれで思い出したというわけでもなく、しばらく前にちょっと衝撃を受けて忘れられないニュースがある。

ちょうど小泉元首相が政界引退を表明した前後だったと思うが、横須賀で一家心中があった。旦那がたしか43歳、奥さんが38歳。書き置きに「娘も連れていく」とあり、どんな年端もいかぬ少女が巻き添えにされたのかと思いきや、その娘さんの年齢は21歳とあった。

ま、ありえない話ではない。

報道によれば心中の理由は借金苦、どんな人たちだったのかは知る由もないのだが、ほんとにそれだけが原因なのだろうか、38歳と21歳の女性にはさまれて暮らしてたらオレだったら借金とかする以前におかしくなってるぜ、とニュースを読んで思ったのだった。

ま、安直な妄想が大部分を占めているのは否めないが。

2008年10月16日木曜日

夕飯不要の日だった

銀杏の塩焼きが旨かった。

牡蠣のチーズグラタンを一人で食ってしまって申し訳ない。

シャングリラのbass

あいかわらず「シャングリラ」ばっかり聴いてるんだけど「携帯電話を」や「君を想うと」の歌詞で始まる部分のbassがたいそう面白くて感心する。

聖俗の反転のために (2)

前回分を敷衍してみる。

かつて一度として穢されたことのないものは、穢れなきものではありえない。

bound to nowhere

我がベアトリーチェにして未決のシンデレラ。

きみが愛されてさえいれば、愛しているのが誰であろうとかまわない。

2008年10月14日火曜日

オフィーリア主張セリ

我がベアトリーチェにして真性のミスブランニューデイ。

またまた久しぶりのBlog更新。節目にあたる体育の日のエントリ。あまりに立派で涙が出た。曰く

更新できなかったのは落ち込んでたからだけど、浮き沈みが激しいのは一生懸命生きてるからこそじゃないかな?

以上意訳。一見すると自己弁護のようだが、彼女の場合そうはならない。むしろこの一節に彼女の弱さと強さがすべて凝縮されていて限りなくいとおしい。

彼女のほうがずっと苦労している。ちょっとおあずけをくらった程度で騒ぎ立てる僕等はわがままで甘ったれの赤ん坊も同然だ。そのことを彼女は決して上から目線ではなくわからせてくれる。叱ってくれてるのか優しくあやしてくれてるのか、そのニュアンスは各人の嗜好によるだろうけど。

彼女がすべてを、何もかもありのままに語ることはおそらくないだろう。しかし彼女の言葉は1を語って10を伝える。自分を卑下するきらいは今なおありはしても、必ずしもそれだけではない、自負も誇りももっているということを今回のエントリで確信させてくれた。

これから先も彼女は幾度となく傷つきつづけるのだろう。幾度となく穢されつづけるのだろう。けれども、何物にも折れない花というものがあるとしたら、それはまぎれもなく彼女のことだ。

昨日と今日の間に横たわる亀裂の上を、彼女はみごとに飛び越えてきてくれた。いや、そうじゃない。飛び越えていったんだな。追いかけるのは僕等のほうだ。

彼女はきっと流星で、たぶんやわな衛星など寄せつけもしない。見失わずについてゆけるだろうか。燃えつきてしまう前に。

2008年10月11日土曜日

スーパーセンチメンタル

雑踏のなかを歩いてたら師走のような気分になってしまった。切ない。電車に揺られて暗い窓の外を眺めてるだけで涙腺がゆるんでしまった。こんなに人恋しかったことは今までにない。今日明日あたりが山場だと思う。いや、そのあともう一段あるかもしれないけど。

あした何が起こるかわからない。これはもう100%絶対の真理。それをそのまま受けいれようものなら人間とてもじゃないが生きていけない。崩壊する。それで人間には、欺瞞とか虚構とか希望的観測とかが必要なのだろうと思う。宗教も科学もみんなそう。文化とは気休めのことだ。

あ。もしかすると関係妄想というのはこの気休めの最たるものかもしれないな。もう必要ないと思ってたけど。

この夜を彼女はどんなふうにしのいでいるのだろう。笑っていてくれたら嬉しい。もし泣いているのならその涙を残らず舐めつくしたい。今日と明日は必ずしも地続きではなく、その間には深い亀裂が横たわっているだろう。そのうえを彼女が無事に飛び越えられるように今はただ祈る。

旧渋公9/21補遺3

歌を産む女というフレーズがふと浮かんだのは「風に折れない花」の最後のほうの

…, and you are my song

という歌詞が聞きようによっては「you are my son」にも聞こえるなぁと思ったせいだったかもしれない。

2008年10月9日木曜日

変な夢

今夜も眠りは浅く短い。久しぶりに、わりと明瞭な夢をみる。目覚めた直後の記憶では、なんだか佐々木丸美の『夢館』のような印象が残る。

でも舞台は普通のどこか老舗の大企業のオフィス。OLいっぱい、小父さんもいっぱい。まだ小父さんがデスクでおおっぴらに喫煙できた時代のようで、もうもうと立ちこめる煙の中でOLたちが「けむいけむい!」と騒いでいて、しかたなくビルの外に出てきた小父さんが、しかしなぜか棒つきキャンディーを舐めている。ビルの外は意外と自然がいっぱい。

その中でオレはまだ入社まもない社員らしく、だから視点人物はあくまで男。そこへ「伝説のあの人」みたいな存在が海外赴任先から復帰したという噂がたち、オレは先輩社員からその人に対してどう挨拶すればいいかを伝授されている。挨拶というか、相手はほとんど雲の上の人のような存在なので不在のときに黙って名刺を置いてくればいい、みたいな話になってるw

いわゆる一般職のOLがそこかしこに無数にいて、夢の中なのでみんな可愛い。その中にひとり、どうも「ちっちゃいOL」みたいな存在がいるらしく、ちっちゃいのでどこにいるかわかんないんだけど、その子からの視線にいちばん圧迫感をおぼえる。それが『夢館』を連想させたのだろうと思う。

独身者

仕事場のまえの道を歩いていたら、どこで咲いているのか金木犀の匂いがしていた。


我がベアトリーチェにしてハナ。

ときとして重力にあまりにも従順なものというのはある。それを指先で、あるいは掌でそっと受けとめ、軽くスナップをきかせて投げあげる。

落ちてきたら同じことを繰り返す。何度でも。

ふわふわと、つかのまの、甘美な戯れ。

そのときふと、あれ、これは何かに似てるな、と思った。チャプリンの独裁者の有名なシーンだ。それで今夜は彼女をハナと呼んでみたくなったわけだ。

不在のハナ。沈黙せるハナ。

いつかは星が地に堕ちる日もくるだろう。それを恐れるつもりはない。ただ、どうにかして軟着陸させることはできないものかとだけは念じている。願わくば、どこかきよらかな砂漠のほとりに、音もなく、ゆっくりと。

2008年10月8日水曜日

スプリンクラーになる

スプリンクラーになりたい。

もうね、ぎゅいんぎゅいん回転して、ところかまわず撒きちらしたい。


うそです。もうそんなに出ません。


そうじゃなくて、ぼくがやりたいのは、


ちんこん。

たましずめ。


むだにヒートアップしてるところに、さぁっと霧のようなヴェールをかけて空気を冷ます。

そういうものになりたい。

エマ・ハミルトンって

検索すると薔薇の品種名として挙がってるほうが多いんだな。

万年筆の銘柄にもなってるらしいけど中古で10万円とかするw

2008年10月7日火曜日

だめなひと、うわのそら

SonicStageでプロパティ見たら「シャングリラ」の再生回数が100回を超えてた。

こんなに集中して同じ曲を聴いたのは祥子さんの「ラジオのように」のシングルが出たとき以来かもしれない。

そのせいか今日は川に落としこそしなかったが携帯を忘れて部屋を出てしまった。おかげで久しぶりに仕事に集中できたけど、

などということはなく、あいかわらずひねもすうわのそらだった。

ゆうべは気づいたらボディソープで髪の毛あらってたし。

ただ「シャングリラ」は「あんな」と「ちっぽけな」のvo.のつながり具合がよくないのが玉に瑕だな。

2008年10月6日月曜日

衛星志願

新しい幻にとりつかれてから1ヵ月が経過。

こんな状態になったのはほぼ20年ぶり、軽いのも含めれば10年ぶりぐらいだろうか。

おそらくこれが最後になると思う。それだけに終わってしまったあとに襲ってくるだろう反動が怖い。

あまりのめりこみすぎないようにしたい。できるだけ長続きさせたい。ゆっくりと旋回するもののようでありたい。近づいてはまた遠ざかり、次の接近を待ち焦がれつつ幸福であるような、そんな存在。

ほぅ x2

asahi.com「銀ちゃんとヤスと小夏の関係 宝塚花組・大空祐飛(2)」より。

この作品って、依存についての話でもあると思うんですけど、

これには思わず唸らされた。

2008年10月5日日曜日

残酷な○○が支配する

我がベアトリーチェにして迷宮の奥深くのアンドローラ。

3日連続のblog更新にひとまず安堵する。ただ写真の表情にはどこか惑いの跡が感じられなくもない。

前を向くとは書いたものの、ではどちらに足を踏み出そうかと思いあぐねているのか。それともすでに心はきまっていて、それを言い出しかねているのか。

わからない。もどかしい。

何もかも運命が支配するのだというのならどれだけ気が楽になるだろう。あるいは我々が単に彼女の気まぐれに振りまわされているだけなのであれば。

外は明日からまた彼女がしばし沈黙にふけってしまうのを予感させるかのような雨の音。切ない。

シャングリラ

チャットモンチー「シャングリラ」をダウンロード購入。

昨日アダルトビデオショップの店内にいたら有線放送でかかってた曲。

歌詞に曰く

気がつけばあんなちっぽけな物でつながってたんだ

そして

希望の光なんてなくったっていいじゃないか

なんかもう、このところの気分にぴったりで、聴いた場所も場所だけに、もののみごとに秘孔を突かれてしまった。

見ると作詞と作曲は別々の人なんだけど、とてもそうは思えない天衣無縫ぶり。

日本武道館でコンサートやるほどのバンドで曲も2年近く前のものらしいのだが、例によって今までぜんぜん知らなかった。

2008年10月3日金曜日

ほぅ

asahi.comの「生命力あふれる銀ちゃんを 宝塚花組・大空祐飛(1)」というインタビュー記事。ま、オレ宝塚ってほとんど知らないんだけど。96年の初演っていうのも知らなかったしなぁ。

blue turtle

我がベアトリーチェにして天性のロクサーヌ。

きみが無口な日は、いっそ雨でも降っていればいいのにと思う。