2008年10月20日月曜日

純愛は再定義されるべきか

このところ漠然と「純愛というのはプラトニック・ラブのことなんだろうけど、それはちがうんじゃないか!?」と思いはじめていた。

ところが、意外にも世間ではそもそも「純愛=プラトニック・ラブ」という認識でもなさそうであることがわかり、いきなり出鼻をくじかれてしまった。

たとえば小浜逸郎は「「男の純愛」は可能か」において愛を博愛・性愛・親子愛・友愛に分類して純愛は性愛の範疇に含まれるとしている。

また、ウィキペディア日本語版の「純愛」の項には

アダルトゲームやアダルトアニメでは双方の合意による性交渉(和姦)を扱う作品を「純愛系」と呼ぶ。

などという記述がある。「純愛=和姦」というのはすっきりしていてよいと思う。珍しくオタクカルチャーと気が合ってしまった ;p

一方、きょう書泉ブックタワーでちらっと開いてみたサタミシュウ『私の奴隷になりなさい』(角川文庫)巻末のリリー・フランキーによる解説などは、やっぱり「純愛=プラトニック・ラブ」という捉え方も皆無ではないことをうかがわせる。

そこで現時点で私が考えるところの純愛の位置づけを行なっておきたいと思う。

  1. 純愛 - 肉欲・性交、および胚胎の可能性を伴うもの
  2. 非・純愛
    1. 肉欲を伴うもの
      1. 避妊処置を施した性交を伴うもの - 肉欲・性交を伴うが、胚胎の可能性を排したもの
      2. トレンディ・ドラマ風のもの(死語か) - 性交までの間に不必要なほど煩雑な段どりを伴うもの、経済によって汚染された純愛
      3. 同性愛、嗜虐・被虐、オーラルセックス、アナルセックス、etc. - 肉欲を伴うが、性交については微妙であり、いずれにせよ胚胎の可能性はないもの
    2. 肉欲を伴うかどうかが微妙なもの
      1. 結果的にプラトニック・ラブ - 障害等により性交・胚胎が不可能なケース
      2. 小児愛
    3. 肉欲を伴わないもの - いわゆるプラトニック・ラブ

こんな感じだろうか。(もちろん上で言う性交はすべて和姦を指す)

非・純愛は歪んだ愛である。とはいえここでの「歪んだ」という語には、特に否定的なニュアンスをもたせてはいない。そもそも私自身にしてからが、今もし誰かを愛しているのだとすればそれはかなり歪んだ形においてなのではないかと思っている。