TBSのニュースサイトに「八王子殺傷「正社員話、けがでなくなる」」という、八王子で起きた無差別殺傷事件に関する記事。
見出しは犯人の動機についてだが、それよりも被害者の中学時代の同級生のコメントのひとつ
「誰でもよかったなんて、それで本当にいなくてはいけない人がいなくなるっていうのは許せない」
が興味深い。
ある人間が「いなくてはいけない人」の範疇に含まれるなら、また別の人間は「いてはいけない人」「いなくてもいい人」の範疇に含まれるのだろう。そういうカテゴリ分けが、意識するしないにかかわらず厳然と存在していることを、このコメントは示している。
ある人を「いなくてはいけない人」と呼ぶ人の心の中には、口にこそ出さないけれども「いてはいけない人」も存在するだろう。それは別の人のコメントに「死刑にしてほしい」という言葉があるように、まずは今回こんな事件を起こした犯人を指しているのかもしれない。
が、「いなくてもいい人」となると、それは具体的には誰を指すのか。「他に殺されていいような人はいくらでもいる、なにもあの人が殺される必要はないじゃないか」と思う場合の「殺されていい人」というのは、やっぱり「自分の知らない人」「自分が好きな人以外の人」であれば誰でもいいのか。
自分の知らない人がいて、その人を好きな誰かがいるかもしれない。でもそのことには想像がおよばない。それは自分の知っている人が殺されたショックの中ではしかたのないことなのかもしれない。結局このあたりが人間の限界なのだろうか。