七月もあっという間に終わりか。
今日は仕事場の前によくいる美形猫が両手を枕にじっと考え込んでいた。そのうち頬杖ついたりすんじゃないかと思うくらい人間っぽい。

右の写真はだいぶ前に隣のマンションの入り口にいたところを撮ったもの。あんまりよくは撮れてない。
つーか、なんか油絵みたいだな。
タイトルは「あなたをぼこぼこにしたい」の略です。
というオチが鳥居みゆきのコントにあった。
というのはいいとして、スーパーでごみ収集袋45リットル入りとかを買うときに、ガサガサ音がするやつなのかしないやつなのかを見分けるのが難しい。
買ってきて封を切って1枚出してみてガサガサするやつだった日には悲しくなる。
色が半透明より白に近いものは普通のものより厚みがあるのか、ガサガサ言わない確率が高いように思う。よく新品のパソコンを買ったりしたときに箱の中の現物を包むのに使われてるような袋。
でもあの耳障りな音は袋の厚みより素材の組成によるところが大きいような気もする。
月曜に寄った店では白っぽいのが見当たらなかったので「再生ポリエチレン使用」と書いてあるのを買ったら運よく音がしないやつに当たった。音がするやつより透明度が高いのでゴミ捨てるときは中身丸見え。
雨が降る降ると予報されているが降る様子もないので洗濯。
洗面器が古びてきたので先週スーパーで新しいのを買ったが店の棚には「洗面器」ではなく「湯おけ」と書いてあった。湯おけというのは取っ手がついてて浴槽からお湯を汲むやつじゃないのか。あるいは風呂桶のことを指す場合もあるらしい。むずかしい。
TBSのニュースサイトに「八王子殺傷「正社員話、けがでなくなる」」という、八王子で起きた無差別殺傷事件に関する記事。
見出しは犯人の動機についてだが、それよりも被害者の中学時代の同級生のコメントのひとつ
「誰でもよかったなんて、それで本当にいなくてはいけない人がいなくなるっていうのは許せない」
が興味深い。
ある人間が「いなくてはいけない人」の範疇に含まれるなら、また別の人間は「いてはいけない人」「いなくてもいい人」の範疇に含まれるのだろう。そういうカテゴリ分けが、意識するしないにかかわらず厳然と存在していることを、このコメントは示している。
ある人を「いなくてはいけない人」と呼ぶ人の心の中には、口にこそ出さないけれども「いてはいけない人」も存在するだろう。それは別の人のコメントに「死刑にしてほしい」という言葉があるように、まずは今回こんな事件を起こした犯人を指しているのかもしれない。
が、「いなくてもいい人」となると、それは具体的には誰を指すのか。「他に殺されていいような人はいくらでもいる、なにもあの人が殺される必要はないじゃないか」と思う場合の「殺されていい人」というのは、やっぱり「自分の知らない人」「自分が好きな人以外の人」であれば誰でもいいのか。
自分の知らない人がいて、その人を好きな誰かがいるかもしれない。でもそのことには想像がおよばない。それは自分の知っている人が殺されたショックの中ではしかたのないことなのかもしれない。結局このあたりが人間の限界なのだろうか。
窓の杜にてGUIでパーティションを編集できるフリーソフト「EASEUS Partition Manager」を知り、さっそくThinkPadのパーティションを半々に分ける。
いや~、これは便利だわ。マウスドラッグで容量を指定できるというのには特に魅力は感じないんだけど、ちゃんと数値でも指定できるのでまったく問題ない。
朝。
最近は神戸屋の「朝からさっくり食パン」が多い。厚切り2枚入り。ひとりものでも消費期限内に食べきれる。クロワッサン風。耳の部分が柔らかいのはいいが指にパン屑がつきやすいのが玉に瑕。
昨晩ふだん寄らない店に寄ったら、これの「黒糖」バージョンというのが置いてあった。
どこの製品だったか不明だが、昔よく学校の自販機なんかに「マーブル」というチョコケーキが入っていた。ほぼ正方形のスポンジケーキにチョコが渦巻き状に練りこんであるやつ。それをでっかくしたような感じ。
もちろんチョコケーキのようにこってりとはしていないが、黒糖の甘みがまんべんなく行きわたっていて、バターもマーガリンも塗るのがおっくうな夏の朝にはぴったりである。
「わが国固有の領土」、そう言葉にしてしまった瞬間に露呈してしまう固有性の乏しさというのは如何ともしがたい。
教科書に明記したからといって「竹島ってどこだっけ」「ふーん、あっそ」で終わってしまうのは、先ごろ報じられた都道府県の位置を答えさせるテストの正答率の低さからして想像がつきそうなもんだが。
仮に竹島なり独島なりに日本人なり韓国人が住みつき、そこに生まれ育った人々がその島を自分たちの故郷と思って疑わなかったとしても、優先されるのは「○○国固有の領土」かどうかであって彼らの事情は一顧だにされないのだろう。
おそらく日本人の誰かが住みつこうとした時点で、誰あろう日本政府から横槍が入るにちがいない。「固有の領土」という物言いには、そこを何か不可触の聖域と化してしまおうとする傾向が感じられる。
もしこれが例えば竹島に日本人の灯台守が家族とともに住んでいました。一人娘はまだ幼かったので灯台守は彼女のために犬を飼ってやることにしました。娘は犬をたいそう可愛がり育てていました。ところがある日、島に韓国人がやってきて、彼らはその犬を殺して食べてしまいました。ということであれば私だって「竹島を韓国人どもから守れ」と思うだろう。
そうした経緯もなしに「固有の領土」と言われても、それは単にその島に対する領有権を、政治上、外交上のカードとして確保しておこうという思惑しか見えてこない。
NIKKEI NETに「ATM周辺で携帯圏外に 三精輸送機、振り込め詐欺防止装置」という記事。
舞台装置などを手掛ける三精輸送機は、金融機関のATM周辺で携帯電話を通信不能にする装置を初めて開発した。
なぜ舞台装置の会社が??
同社はコンサートホールや劇場向けに公演中の携帯電話の使用を制限する装置を手掛けており、動作範囲をより狭くするように機器を改良した。
なるほど……。ということは「携帯電話の電源はお切りください」のアナウンスがある劇場にはこの装置が導入されてないということか。
鉄道会社なんかも導入してくれればよさそうなもんだが。
何日か前にスーパーで買った和菓子の 08.07.11 と印字された消費期限を見ながら思うに。
この場合、消費期限が切れるのは正確にはいつなんだ。日付が「7/10から7/11に変わるとき」なのか「7/11から7/12に変わるとき」なのか。
ま、これを書いてる時点では期限はいずれにしろ過ぎちゃってるわけで、指でつまむと餅の部分がネバつくし食えば餡子が生温かったりするのだが。
しかもまだ2個残ってるので冷蔵庫に入れてみたりなんかして。
結局この消費期限というのは単なる目安なんだろなと思う。
あとは食う人間それぞれの判断だろと思う。
にもかかわらず最近では何かといえば消費期限だ賞味期限だとニュースになっている。それも食中毒とか実際の被害がなくても騒ぎたてられてるケースが少なくない。
これはつまり日本人が年々、判断能力を失ってきているということなのではないのか。
だって期限切れの原料を使ったり商品を出したりしてたところは、たいがい何十年も前からそうしてきてたって話じゃん。
それを昔の人たちは平気で食ってたわけだ。もしくは見たり嗅いだりして食えなさそうなら食わずに捨てて、それ以後その店や会社のものはあまり食わないようにするとかの自分なりの対策を講じてきたわけだ。
屋台骨が苦しければ手抜きして作ったり売れ残りを使いまわしたりしたくなるのは人情だろうし、かといってそれが常態化すれば馴染みの客も一人二人と減っていってやがては市場から淘汰される。
ことさらに日付の齟齬をあげつらって騒ぎ立てるんではなしに、そういうのがごく自然な大人の対処ってもんじゃないのか。
もちろん純粋な善意から食の安全を考えてる人たちもいるんだろうけど、そういう気運に今ひとつ賛同しきれない、どうしても何か見えない陥穽が待ちかまえているように思えてならないのは、どうも上に書いたようなところに原因がありそうな気がしてきた。
副都心線のシートの背もたれの天辺に両手をかけ、向こうむきになって窓の外を眺めている初老の小柄な男。窓の向こうは真っ暗なのだが子供のように一心不乱に、首をキョロキョロさせて進行方向の線路のあたりを注視している。たぶん最近までこの地下鉄の工事をやってた人なんだろうなと思う。
昼下がりの住宅街の、家々のポストにチラシを差し込んで歩く初老の小柄な女。タスポ導入の反動で今後雇用機会が増えそうな煙草屋の店番なんかのほうが似合いそうなのに、なにもこんな年寄りにあんな仕事をさせることはないだろう。だからといって若者がやっても有意義な仕事とは思えないけど。